2017年11月 チェンライ/タイ
みなさん、お久しぶりです!けんとです。
前回の投稿からすごく時間が空いてしまいました!申し訳ありません。
今回は「コーヒー体験記」第6弾、とうとう「ルンアルン暁の家」編もクライマックスとなりました。
この記事では、ルンアルン・プロジェクト代表の中野穂積さんがなぜコーヒーをオーガニックで栽培することに強い期待を寄せているのかについて、自分なりに考えてみたので、それを紹介したいと思います。
Contents
“山地民”の子供たちが大人になった時のために
中野さんはコーヒー栽培を本格的に始める前は、”山地民”の中高生が山の麓(ふもと)にある学校に通えるよう、麓に生徒寮(リス生徒寮)を組織し、そこの寮母として彼らと共同生活を送っていました。
その頃から彼女は子供たちと供に様々な作物を無農薬で育て、またニワトリやブタ、そして魚などを育て自給自足の生活を送っていました。
“山地民”の子供たちが大人になった後も、彼らが生活しているコミュニティが持続的に発展していけるための「何か」を探していたのかもしれません。
コーヒーとの出会い
ある日、中野さんはチェンライ県のドイチャーン村に住むリス生徒寮の卒寮生から「村で採れたコーヒーを飲んでみてよ」とコーヒーをもらいました。
中野さんはそれを飲んでみたところ、その清々しい後味に魅了されたと言います。

当時のタイ北部山岳地帯の農業事情
タイ北部の山岳地帯は地理的に非常に険しく、自給自足用の作物であればともかく、換金用のそれを栽培するには平地で栽培するよりも不利な状況下にありました。
たとえば、トマト栽培。当時、この地域ではトマト栽培が盛んでした。トマトは栄養価が高く、市場価値も高い作物の一つです。しかし、トマトを山間地で換金用に栽培することはとても不安要素が残るものでした。
何故ならば、トマトは長期間保存することができない「鮮度が命」の作物であるからです。山間地で生産された作物は、出荷するために山の麓まで輸送しなければなりません。トマトのような作物は平地で栽培するよりも圧倒的にコストがかかってしまうのです。
さらに、仮にそのシーズンは気候にも恵まれトマトが豊作だったとしても、その時の市場動向によっては収穫したトマトを全て売ることができず、廃棄になる可能性もありました。

コーヒーの可能性
しかし、コーヒーは違いました。
コーヒーは適切に加工すれば、長期間保存することが可能な作物であり、市場の動向に左右されず、生産者のペースで出荷することができます。
さらに、加工されたコーヒー豆の質量は他のそれよりも軽く、一度に大量のコーヒーを輸送することも可能でした。
このように、コーヒーには他の作物よりもメリットがたくさんあることがわかりました。中野さんは、卒寮生からもらったコーヒーを飲んだ時に、コーヒーの換金作物としてのポテンシャルを見抜いただけではなく、これこそが”山地民”の子供たちが大人になった後も、彼らが大切にしている故郷で持続的に暮らしていくための「何か」だと思ったのではないでしょうか。
<トマト栽培とコーヒー栽培の特徴>
トマト
⑴長期間保存することができない
⑵鮮度が落ちないうちに輸送しなければならない
⑶市場の状況によっては、廃棄する可能性がある
コーヒー
⑴適切に加工すれば、長期間保存が可能
⑵生産者のペースで出荷することができる
⑶一度に多くの量を輸送することができる
オーガニックという価値
中野さんは、ここにさらに「オーガニック」という価値を取り入れました。コーヒーをオーガニックで作る、つまり農薬や化学肥料に一切頼ることのない栽培方法を、農薬を使うそれよりもはるかに大変な方法をなぜ取り入れようと思ったのでしょうか。
当時の”山地民”コミュニティでは、作物を育てる時に農薬や化学肥料を使うことが一般的でした。農薬や化学肥料を使うことによって、険しい山岳地帯での労働負荷を軽減し、作物の収穫量を増やすために“山地民”の人々は農薬などに頼った農業を営んできました。
しかし、農薬に頼ることは色々な面で問題がありました。たとえば、農薬による健康被害。今であれば、農薬や化学肥料は比較的人体に影響が少ない原料から作られるようになりましたが、当時の農薬は果たして今ほどのクオリティがあったのでしょうか。
実際に、農薬を使って作物を育てていた農家の中には、肢体が痺れるなどの健康被害が頻発したと言われています。
さらに、深刻な問題がありました。それは、農薬や化学肥料の確保のために「首が回らなくなる」農家が増えたことです。
一般的に、山地民の人々は種まきをする前に、業者から農薬や化学肥料を前借りして確保します。その前借りした農薬などを使って作物を育て、その売り上げをもって借金を返済します。しかし、このシステムは非常にリスキーなものだったのです。つまり、予想通りの収穫量と利益を見込めない状況に陥った時(異常気象による不作、市場動向の悪化)、借金だけがどんどん生産者の首を締めていくという負のスパイラルに嵌(はま)る可能性が非常に高かったのです。
このような現状を目の当たりにした中野さんは、この状況をどうにかして変えたいと思い、その打開策がコーヒーを含む作物をオーガニックで栽培することだったのかもしれません。
<農薬を使用するデメリット>
⑴生産者に対する健康被害(肢体の麻痺など)
⑵農薬等の前借りによる経済的圧迫
農薬などに頼らなくても工夫さえすればコーヒーを作ることができる、それがこのコミュニティが前に進んでいく希望の光であると考えたのだと私は思います。
私は実際に中野さんが運営するコーヒー畑を見る機会がありました。私はそこで、コーヒーをオーガニックで作るポテンシャルの高さを実感することができました。
たとえば、タイ北部の豊かな生態系とコーヒーのコラボレーションがそこにはありました。タイ北部の山岳地帯は緑豊かな自然が広がり、土壌も肥沃で作物の栽培に適した場所です。そのような環境下で、コーヒーはのびのびと葉を伸ばし成長していました。
農薬に頼らなくても、森の生態系の一部としてコーヒーを育てることで、その生態系がコーヒーに集まる虫を分散させ、森の背丈の高い木々は直射日光に弱いコーヒーの木に陽の光が当たるのを防いでくれ、じっくりと成長した美味しいコーヒーが実ります。
コーヒー×オーガニック=経済と自然の共生
私は、実際にタイ北部の山岳地帯にあるコーヒー畑を見た結果、この地域でコーヒーをオーガニックで栽培することは十二分に可能であり、この森の生態系との共生栽培は、このコミュニティで一つの希望の光となっていると感じました。
つまり、森の生態系とともにコーヒーをオーガニックで栽培することは、豊かな自然を守り育みながら”山地民”の人々の生活をも支えていくシステムだったのです。
中野さんがコーヒーをオーガニックで栽培することに強い期待を込めている理由は、今まで見てきたような点もありますが、リス生徒寮を始めた当初から”山地民”の子供たちと農薬や化学肥料に頼らない方法で作物を育てていたので、コーヒーを栽培しようと思った時にオーガニックで栽培するという選択も、きっと中野さんにとっては自然の流れであったのかもしれません。

「無農薬なんて無理だよ」
しかし、中野さんによるこの試みは一筋縄ではいかなかったと言います。
中野さんがコーヒーをオーガニックで作ろうとしたとき、周りの人たちに反対されたと言います。「農薬を使わないでコーヒーを作るなんて無理だ。現実的ではない。」と村人だけではなくオーガニック栽培の指導を依頼していたロイヤル・プロジェクトのスタッフにも反対されたそうです。しかし、中野さんはこのチャレンジこそが”山地民”の人々の生活と彼らを取り巻く自然を守っていく手段だと信じ、この理想を自ら証明するためにコーヒーをオーガニックで栽培する活動が始まりました。
「ヨムヨム(よかったね、よかったね)」
コーヒーのオーガニック栽培を始めた当初は、コーヒーが思うように成長してくれずに悩んでいた時期があったそうです。しかし、あるときアカ族の先輩コーヒー農家の男性から「乾季のうちに畑を全部耕してみるといいよ」とアドバイスをもらいました。
中野さんは、乾燥の激しい時期に耕せば、コーヒーの木にダメージを与えてしまうのではないか?という懸念を持ちながらも、藁にもすがる思いで、彼の言われた通りにやってみることにしました。
2015年の1月に暁の家の最後の寮生7名、新しい試みとして受け入れた2名の学校外教育生、そして暁の家のスタッフ総出で約2ヘクタールある広大なコーヒー畑を耕しました。さらに、後日ドインガーム村の人たちにも手伝ってもらい、雨季が始まる前に全ての畑を耕すことができました。
<乾季にコーヒー畑を耕す>

中野さんは、雨季が始まりたくさんの水分を吸収したコーヒー畑を見たときの驚きと喜びを忘れたことはないと言います。今まで小さく萎縮していたコーヒーの木は、耕された土壌に水分が十分に染み込んだおかげで、今までとは比べようもないくらいぐんぐん成長していました。
このコーヒー畑に吹いた新しい風に、ドインガーム村の人々も「ヨム、ヨム(よかったね、よかったね)」と一緒に喜んでくれたそうです。
<今では見違えるようになったコーヒー畑>

<真っ赤に熟したコーヒーチェリーを摘む中野穂積さん>

以上にように、中野さんは”山地民”の子供たちと共同生活している頃から、彼らが大人になった後も彼らのコミュニティが持続的に発展していけるような地域社会を思い描いていたのだと思います。
そういう彼女の思いがコーヒーという光を通して、今現実のものになっているのだと私は感じました。
中野さんのコーヒーに対する情熱と”山地民”の人々に寄り添う姿勢を目の当たりにした私は、中野さんが寄り添う”山地民”の人々のコミュニティがどこへ向かっていくのか見てみたいと思うようになりました。
みなさん、最後まで読んでくださりありがとうございました!
最初はコーヒーに興味を持ち、そのコーヒーが「どこで、どういう人たちが、どういう栽培方法で」作っているのだろうという純粋な興味で現地に飛び込みました。しかし、中野さんや暁の家のスタッフやいろんな人に出会ううちに、そのコーヒーを作っている人たち自身や彼らの社会について興味を持つようになりました。
次回は「コーヒー体験記」第7弾ということで、中野さんが支援しているアカ族の村落へお邪魔した時のエピソードをご紹介したいと思います!(次回はなるべく早めに投稿します笑)
それでは、この辺で失礼します。今後ともよろしくお願いします。
<参考資料>
・中野穂積(2017)「コーヒーの木と暁の家」,『クルンテープ』2017年10月号 Vol26(596), pp35-42, 泰国日本人協会